2012年01月27日
2012年01月27日
高野豆腐のハーブカツ
1月27日 金曜日 日替わりメニューです
「高野豆腐のハーブカツ」
※メールでの注文は午前10時にて
締め切らせて頂きます。
※ご予約弁当の受け渡しは
午後2時までとなります。
電話で確認してご注文ください
店舗にもご用意しておりますが
製造量が少ない為
ご購入を予定の方は
予めご予約のメールか電話を頂けましたら
おとり置きします
「高野豆腐のハーブカツ」
※メールでの注文は午前10時にて
締め切らせて頂きます。
※ご予約弁当の受け渡しは
午後2時までとなります。
電話で確認してご注文ください
店舗にもご用意しておりますが
製造量が少ない為
ご購入を予定の方は
予めご予約のメールか電話を頂けましたら
おとり置きします
2012年01月26日
イカと生姜の和風豆腐ハンバーグ
1月26日 木曜日 日替わりメニューです
「イカと生姜の和風豆腐ハンバーグ」
※メールでの注文は午前10時にて
締め切らせて頂きます。
※ご予約弁当の受け渡しは
午後2時までとなります。
電話で確認してご注文ください
店舗にもご用意しておりますが
製造量が少ない為
ご購入を予定の方は
予めご予約のメールか電話を頂けましたら
おとり置きします
「イカと生姜の和風豆腐ハンバーグ」
※メールでの注文は午前10時にて
締め切らせて頂きます。
※ご予約弁当の受け渡しは
午後2時までとなります。
電話で確認してご注文ください
店舗にもご用意しておりますが
製造量が少ない為
ご購入を予定の方は
予めご予約のメールか電話を頂けましたら
おとり置きします
2012年01月25日
根菜とおからのニラ団子 中華あん
1月24日 火曜日 日替わりメニューです
「根菜とおからのニラ団子 中華あん」
※メールでの注文は午前10時にて
締め切らせて頂きます。
※ご予約弁当の受け渡しは
午後2時までとなります。
電話で確認してご注文ください
店舗にもご用意しておりますが
製造量が少ない為
ご購入を予定の方は
予めご予約のメールか電話を頂けましたら
おとり置きします
「根菜とおからのニラ団子 中華あん」
※メールでの注文は午前10時にて
締め切らせて頂きます。
※ご予約弁当の受け渡しは
午後2時までとなります。
電話で確認してご注文ください
店舗にもご用意しておりますが
製造量が少ない為
ご購入を予定の方は
予めご予約のメールか電話を頂けましたら
おとり置きします
2012年01月24日
赤芽芋の塩タラコロッケ
1月24日 火曜日 日替わりメニューです
「赤芽芋の塩タラコロッケ」
※メールでの注文は午前10時にて
締め切らせて頂きます。
※ご予約弁当の受け渡しは
午後2時までとなります。
電話で確認してご注文ください
店舗にもご用意しておりますが
製造量が少ない為
ご購入を予定の方は
予めご予約のメールか電話を頂けましたら
おとり置きします
「赤芽芋の塩タラコロッケ」
※メールでの注文は午前10時にて
締め切らせて頂きます。
※ご予約弁当の受け渡しは
午後2時までとなります。
電話で確認してご注文ください
店舗にもご用意しておりますが
製造量が少ない為
ご購入を予定の方は
予めご予約のメールか電話を頂けましたら
おとり置きします
2012年01月23日
御礼と炭粉の入荷について
「腸の勉強会」ご参加の皆様
昨日は、16時までの予定を17時まで
延長でお付き合い頂きまして
ありがとうございました。
今日は参加者の方が沢山ご来店頂いて
色々と感想を聞かせていただきました。
次回開催の参考にさせて頂きます。
ありがとうございます。
皆さん、お友達やご家族での参加が多く
口づてでお伝えして頂いたお蔭で
会場の定員をオーバーするご参加を頂きました。
ありがとうございました。
次回も隅田先生に講師をお願いしていますが
先生がご多忙のため、確定はしておりませんが
3月の末を予定しています。
決まり次第ブログやフライヤーで告知いたします。
●炭粉の入荷について
今現在、在庫がありません。
早くて今週の金曜日
来週にはご用意できる予定です
お急ぎの方は届き次第、ご連絡いたしますので
メールにて連絡先をお伝え下さい
昨日は、16時までの予定を17時まで
延長でお付き合い頂きまして
ありがとうございました。
今日は参加者の方が沢山ご来店頂いて
色々と感想を聞かせていただきました。
次回開催の参考にさせて頂きます。
ありがとうございます。
皆さん、お友達やご家族での参加が多く
口づてでお伝えして頂いたお蔭で
会場の定員をオーバーするご参加を頂きました。
ありがとうございました。
次回も隅田先生に講師をお願いしていますが
先生がご多忙のため、確定はしておりませんが
3月の末を予定しています。
決まり次第ブログやフライヤーで告知いたします。
●炭粉の入荷について
今現在、在庫がありません。
早くて今週の金曜日
来週にはご用意できる予定です
お急ぎの方は届き次第、ご連絡いたしますので
メールにて連絡先をお伝え下さい
2012年01月23日
蓮根のメンチカツ
1月23日 月曜日 日替わりメニューです
「蓮根のメンチカツ」
※メールでの注文は午前10時にて
締め切らせて頂きます。
※ご予約弁当の受け渡しは
午後2時までとなります。
電話で確認してご注文ください
店舗にもご用意しておりますが
製造量が少ない為
ご購入を予定の方は
予めご予約のメールか電話を頂けましたら
おとり置きします
「蓮根のメンチカツ」
※メールでの注文は午前10時にて
締め切らせて頂きます。
※ご予約弁当の受け渡しは
午後2時までとなります。
電話で確認してご注文ください
店舗にもご用意しておりますが
製造量が少ない為
ご購入を予定の方は
予めご予約のメールか電話を頂けましたら
おとり置きします
2012年01月21日
明日の「腸の勉強会」 ご参加の皆様へ
今日は「大寒」にしては、温かい週末ですね。
朝は雨が降りそうな空模様でしたが、どうでしょうね?
さてさて、年末より告知しておりました「腸の勉強会」。
明日開催いたします
ご参加の皆様へ、いくつか注意事項がありますので
お知らせいたします。
●開場時間
12時30分には開場いたします。
開始は13時を予定しています。
●途中退席について
お仕事のシフト調整やら、色々と都合をつけて
来られる皆さんが多いので
遅刻、途中退席可能となっております。
会の途中で、会場を出入りされる予定の方は
列の後方や、端の席にお座りになって
他の方の気が散らないようにご配慮ください。
●テキストはご用意しておりますが
筆記用具は各自ご持参ください。
●中央公民館は、かなり古い建物です。
暖房は入りますが足元が冷えるので
ブーツやブランケットなどで
防寒対策をされると良いです。
●参加料の800円はつり銭のないように
ご用意ください。
以上、ご確認くださいませ。
玄米菜食を続けている方も
これからの方も。
テキストを見ているとかなり面白い内容に
なっていると思いますが・・・
参加者の皆様にとって実りある会となれば
嬉しいです。
それでは、明日皆さんにお会いできるのを
楽しみにしております!
朝は雨が降りそうな空模様でしたが、どうでしょうね?
さてさて、年末より告知しておりました「腸の勉強会」。
明日開催いたします
ご参加の皆様へ、いくつか注意事項がありますので
お知らせいたします。
●開場時間
12時30分には開場いたします。
開始は13時を予定しています。
●途中退席について
お仕事のシフト調整やら、色々と都合をつけて
来られる皆さんが多いので
遅刻、途中退席可能となっております。
会の途中で、会場を出入りされる予定の方は
列の後方や、端の席にお座りになって
他の方の気が散らないようにご配慮ください。
●テキストはご用意しておりますが
筆記用具は各自ご持参ください。
●中央公民館は、かなり古い建物です。
暖房は入りますが足元が冷えるので
ブーツやブランケットなどで
防寒対策をされると良いです。
●参加料の800円はつり銭のないように
ご用意ください。
以上、ご確認くださいませ。
玄米菜食を続けている方も
これからの方も。
テキストを見ているとかなり面白い内容に
なっていると思いますが・・・
参加者の皆様にとって実りある会となれば
嬉しいです。
それでは、明日皆さんにお会いできるのを
楽しみにしております!
2012年01月20日
蓮根のお麩はさみ揚げ 生姜あんかけ
1月20日 金曜日 日替わりメニューです
「蓮根のお麩はさみ揚げ 生姜あんかけ」
※メールでの注文は午前10時にて
締め切らせて頂きます。
※ご予約弁当の受け渡しは
午後2時までとなります。
電話で確認してご注文ください
店舗にもご用意しておりますが
製造量が少ない為
ご購入を予定の方は
予めご予約のメールか電話を頂けましたら
おとり置きします
「蓮根のお麩はさみ揚げ 生姜あんかけ」
※メールでの注文は午前10時にて
締め切らせて頂きます。
※ご予約弁当の受け渡しは
午後2時までとなります。
電話で確認してご注文ください
店舗にもご用意しておりますが
製造量が少ない為
ご購入を予定の方は
予めご予約のメールか電話を頂けましたら
おとり置きします
2012年01月19日
車麩の玉ねぎと青紫蘇のカツ
1月19日 木曜日 日替わりメニューです
「車麩の玉ねぎと青紫蘇のカツ」
※メールでの注文は午前10時にて
締め切らせて頂きます。
※ご予約弁当の受け渡しは
午後2時までとなります。
電話で確認してご注文ください
店舗にもご用意しておりますが
製造量が少ない為
ご購入を予定の方は
予めご予約のメールか電話を頂けましたら
おとり置きします
「車麩の玉ねぎと青紫蘇のカツ」
※メールでの注文は午前10時にて
締め切らせて頂きます。
※ご予約弁当の受け渡しは
午後2時までとなります。
電話で確認してご注文ください
店舗にもご用意しておりますが
製造量が少ない為
ご購入を予定の方は
予めご予約のメールか電話を頂けましたら
おとり置きします
2012年01月18日
里芋のじゃこと青海苔の和風コロッケ
1月18日 水曜日 日替わりメニューです
「里芋のじゃこと青海苔の和風コロッケ」
※メールでの注文は午前10時にて
締め切らせて頂きます。
※ご予約弁当の受け渡しは
午後2時までとなります。
電話で確認してご注文ください
店舗にもご用意しておりますが
製造量が少ない為
ご購入を予定の方は
予めご予約のメールか電話を頂けましたら
おとり置きします
「里芋のじゃこと青海苔の和風コロッケ」
※メールでの注文は午前10時にて
締め切らせて頂きます。
※ご予約弁当の受け渡しは
午後2時までとなります。
電話で確認してご注文ください
店舗にもご用意しておりますが
製造量が少ない為
ご購入を予定の方は
予めご予約のメールか電話を頂けましたら
おとり置きします
2012年01月17日
「腸の勉強会」参加にあたってのご質問について
メールにて頂く質問が重なってきたので
一度まとめます。
ご確認ください。
Q 締め切りはいつまでですか?
1月22日の当日 午前中までOKです
Q 小さな子供がいます。連れて行っても大丈夫ですか?
今回は広めの会場を借りています
お母さんの出入りがしやすいように
会場の後部座席はお子様連れ専用のお席にします。
一階上のエレベーターホールにはソファがあります。
会場の目の前は公園になっています。
もしも泣きやまない時などは、そちらへどうぞ。
Q 支払いについて
当日会場にてお支払いください。
Q 遅刻、途中退席可能ですか?
可能です。
他の方のご迷惑にならないよう
出入り口付近にお座りください
Q 今回参加できないのでテキストだけ購入できますか?
テキストだけだと、書き込む欄が多いので
内容がわからないと思います。
お店で声をかけて頂ければお見せしますので
検討されてみてください。
Q 次回の予定は
2月中に開催しますがテーマは変更します
開催曜日は(日曜日)です。
一度まとめます。
ご確認ください。
Q 締め切りはいつまでですか?
1月22日の当日 午前中までOKです
Q 小さな子供がいます。連れて行っても大丈夫ですか?
今回は広めの会場を借りています
お母さんの出入りがしやすいように
会場の後部座席はお子様連れ専用のお席にします。
一階上のエレベーターホールにはソファがあります。
会場の目の前は公園になっています。
もしも泣きやまない時などは、そちらへどうぞ。
Q 支払いについて
当日会場にてお支払いください。
Q 遅刻、途中退席可能ですか?
可能です。
他の方のご迷惑にならないよう
出入り口付近にお座りください
Q 今回参加できないのでテキストだけ購入できますか?
テキストだけだと、書き込む欄が多いので
内容がわからないと思います。
お店で声をかけて頂ければお見せしますので
検討されてみてください。
Q 次回の予定は
2月中に開催しますがテーマは変更します
開催曜日は(日曜日)です。
2012年01月17日
高野豆腐のハーブカツ 豆乳タルタルソース
1月17日 火曜日 日替わりメニューです
「高野豆腐のハーブカツ 豆乳タルタルソース」
※メールでの注文は午前10時にて
締め切らせて頂きます。
※ご予約弁当の受け渡しは
午後2時までとなります。
電話で確認してご注文ください
店舗にもご用意しておりますが
製造量が少ない為
ご購入を予定の方は
予めご予約のメールか電話を頂けましたら
おとり置きします
「高野豆腐のハーブカツ 豆乳タルタルソース」
※メールでの注文は午前10時にて
締め切らせて頂きます。
※ご予約弁当の受け渡しは
午後2時までとなります。
電話で確認してご注文ください
店舗にもご用意しておりますが
製造量が少ない為
ご購入を予定の方は
予めご予約のメールか電話を頂けましたら
おとり置きします
2012年01月16日
豆腐と椎茸、根菜の生姜あんかけバーグ
1月16日 月曜日 日替わりメニューです
「豆腐と椎茸、根菜の生姜あんかけバーグ」
※メールでの注文は午前10時にて
締め切らせて頂きます。
※ご予約弁当の受け渡しは
午後2時までとなります。
電話で確認してご注文ください
店舗にもご用意しておりますが
製造量が少ない為
ご購入を予定の方は
予めご予約のメールか電話を頂けましたら
おとり置きします
「豆腐と椎茸、根菜の生姜あんかけバーグ」
※メールでの注文は午前10時にて
締め切らせて頂きます。
※ご予約弁当の受け渡しは
午後2時までとなります。
電話で確認してご注文ください
店舗にもご用意しておりますが
製造量が少ない為
ご購入を予定の方は
予めご予約のメールか電話を頂けましたら
おとり置きします
2012年01月15日
再度、ご協力のお願い。
12月5日にご案内した「浦部農園」さん
http://osoujigohan.miyachan.cc/e288533.html
年明けに、農園維持のための協力願いのDMが
再度届きました。
研修生を一時帰宅させたり、出来る限りの対応をしながらも
まだまだ資金繰りに苦労をされています。
また、奥様のベーチェット病が20年ぶりに発症しました。
食道の炎症で食事もできないため
やむをえずステロイドでしのいで
何とかこの危機を乗り越えようとされています。
お米や大豆、雑穀などの全商品
定量下限1ベクレルまで精度の高い検査で
放射能3項目とも検出されていません。
おそうじごはん店舗でも、雑穀米を取り扱いますので
是非皆さんご協力のほど、よろしくお願いいたします。
また、新米はインターネットにて注文可能ですので
直接お問い合わせください。
http://www3.ocn.ne.jp/~oriza/
TEL 0274-23-8770
以下、浦部農園さんの手記です。
ご夫婦の絆、苦しい闘病生活や娘さんの死など。
本当に沢山のことを乗り越えて、乗り越えて
農業と食事の大切さを、行動で伝えてくれています。
是非、ご一読ください。
「わたしの人生の転機 」 転載
「あの日があって、今がある。」
古代米各種、特殊米、雑穀、麦、それら多品種を約4ヘクタールで有機栽培し、収穫する全ての量を自力で売り切る。
そう書けば、昔からの篤農家、専業農家、と人は思うのではなかろうか。けれど実態は、東京まで片道2時間半かけて通勤する夫と難病を抱えた妻とが二人三脚で取り組む兼業農家だ。
農家に未来はない、ぼくは農業を継がない、と十代の少年だった夫が親に突きつけた将来設計は、故郷を離れ、大学へと進み、都会で職を得ることだった。彼と彼の家族がいずれ離農しなければならないという覚悟と向かい合っているころ、わたしはわたしで両親に対してもう一つの決断を突きつけていた。
進学のため親元を離れたい。昭和40年代、まだ女は職場の戦力ではなく花と思われていた時代、女子若年退職制度や結婚退職が公然と認知されていた時代、女が4年生大学を出てどうする、まして一人暮らしなどとんでもない。そう反対する父に、自分の口は自分で養うと宣言し、間に入って気をもむ母に、人生の決定権はわたしがもつ、お母さんのような人生は送りたくないと放言し、後に母が嘆息して語ったように「後ろ足で砂をかけるようにして」故郷を離れたのだった。
学生運動の最後の熱気が充満している大学で新しいエネルギーと挫折を目の当たりにしながら私たちは出会った。結婚したとき、二人とも東京都の職員として職を得ていたし、離農を覚悟して親元を離れてきた夫に農業を継ぐ意志はなかった。そのまま何事も起こらなければ、私たちの人生は農業とは無縁であったと思う。
自立と挫折と
けれど長女が2才を過ぎたとき、わたしの体が不調を訴えた。風邪かな、と思った症状が治まらず、激化していくばかりか、繰り返し、繰り返し全身に炎症を繰り返し、そのたびに激しい痛みに焼かれるような日々が始まった。
難病ベーチェットの発症だった。幾度もの入退院、幾度もの病欠。そのたびに実家の母は父をおいて上京し、幼い娘はわたしのいない夜を夫の胸で過ごした。いつわたしを失うかといつも不安で、わたしばかりを見つめていた娘、家事育児を引き受けてくれた夫と母、支え励ましてくれた職場の同僚。自分の人生は自分で決める、とかつて言い放ったわたしは、ベッドの上で大勢の人の世話になり、治る見込みもない。それなのに仕事を辞める決意はつかなかった。仕事を辞めたら独立した人格を失うようで恐ろしかった。
だから少しよくなると職場に復帰し、そしていくらも立たないうちに再発する。そのたびに身のすくむような思いをしながらわたしは仕事を続けた。
いま思うと、どうしてそんな壮絶な日々を送ることができたのか、自分でも信じられないくらいだ。必死だったのはわたしだけではない。夫も娘も、父も母も、周囲の人たちみんながわたしのためにどんなに無理をしてくれたことか、それなのにわたしの症状は一進一退を繰り返しながら少しずつ悪化していった。
二人目の子を授かったあと一気に症状は悪化。このままいけば失明、という状態にまで追いつめられて、必死にしがみついてきた職をわたしはとうとうあきらめたのだった。
医者も薬もだめなら空気と食べものしかない、と夫に励まされ、夫の郷里に入ったのが40歳のとき。 夫はわたしのために所有するすべての田畑を有機栽培に切り替え、米と野菜を作ってくれた。知人に勧められて始めた青汁玄米食も功を奏し、日がな一日床についている状態ながら、薄紙をはぐように体の不調はやわらいでいった。しぶしぶ転校してきた長女は友達ができなくて最初の2年を泣き暮らしたが、自分で志望した私立中学校に進学してからは笑顔を取り戻した。合格発表の日、「この学校が母校になるのね」と言ったときの晴れやかなあの子の笑顔はいまでも胸に刻まれている。
あなたは自立自立と言い張ったけれど、こうして家庭にあって穏やかに暮らすこともいいことでしょう、という母に素直に頷ける自分がいた。小さな軋轢はあったけれど、つつましく暮らす幸せに始めて気づいた日々だった。けれどそんなささやかな幸せも2年あまりしか続かなかった。
11月7日。長女の突然の発熱、嘔吐、意識障害。救急車で搬送された病院での必死の治療に一度は意識を回復しながらも、12月15日、長女は逝ってしまった。13才だった。ヘルペス脳炎。原因はわからない。強いていえば免疫力が低かったとしか言いようがない、といわれた。
免疫力が低いってどういうこと?当惑し、納得できないまま、娘の担当医だけでなく、自分の主治医にも、いとこの医師にも聞いて回った。聞きすがってわかったこと、それはアトピーの子はそうでない子に比べ免疫力が低いということ。
長女のアトピーは学齢期には消えていたが、思春期にさしかかってまた現れ始めていた。母乳にこだわり、食事にこだわり、どんなに忙しくても食べさせるものには細心の注意を払ってきた。少なくとも近代栄養学の知識の上では。さらに追い打ちをかける情報があった。母乳はダイオキシンで汚染されている、ということ。そればかりではない。「栄養豊かな」食事の取り方に弊害があるという情報。
どうして?どうして?繰り返し問い続けるたびに行き着くのは、難病の母から生まれたから弱かったのかということ。どう考え、どう思い悩んでも、最後にはわたしはわたし自身を責めずにはいられなかった。
生きているという実感
逆縁をみたわたしに周囲は優しかったけれど、その優しさがまた骨身に応えてつらかった。痛ましげにわたしを見る人たちの遠慮がちの視線もつらかった。何をしてもつらく、生きていることがつらかった。思い詰めるばかりの日々、ベーチェットは再発し、娘を亡くした半年後には狭心症まで発症した。生きる意欲をなくしたわたしは、それまで医者に禁じられていたことを全部やってみようと思い立った。自殺しようとしたわけではない。ただ自分をいたわるのにうんざりしていたのだ。子を亡くしたというのに自分をいたわってまで生きる意味がどこにあろうか。
夜昼なく田んぼにかがみ込む夫を見ながら一度も入ろうとしなかった田んぼに入ってみた。縁あって湯島天神様の市の日、門前の露天商からわずかばかり買い受けた古代米の葉は肌が染まるかと思うほど、色濃く、硬い。その株元には、まるでイネを絞め殺そうとしているかのようなおびただしいコナギや諸々の雑草。びっしりと張りついたコナギをむしりとるたびにイネがほっと息をつくのが聞こえるような気がした。
炎天下、泥田の中で草取りをしながら、これまでたった一人で連日このようにして土にぬかづいてきた夫を思い、13才で逝ってしまった娘を思い、こうして生きている自分を思った。クモの巣、カエル、トンボ、ツトムシ、そのほか名前も知らない虫たちがうごめいている中に終日あって、ひたすら草を取るのは哲学的ですらあったと思う。
いつか7月が過ぎ8月となり、そしてある日、イネの花が咲いた。目にしみるほどの深い緑のイネの、その穂先が炎のように赤く輝いている。その美しさに呆然となった。
生きている、とその時突然思った。生かされている、とも思った。病をかこち、職を失い、娘を亡くし、生きる努力すら捨て去ったと思ったのに、生きている。赤米の穂を見た瞬間、わたしの心にも命の日がともったような気がした。
以来10年。今では全国に二千の顧客をもち、4ヘクタールの収穫物を全て産直で売り切っている。毎年口コミでお客さまが増えるが、そのなかには重いアレルギーやアトピーに苦しむ子供たちもいる。難病と闘う人や、障害を抱えた人たちもいる。こういう人たちは、妥協のない農法で作られた本当に安心できる食を求めている。
販売しようと思って古代米を作り始めたわけではなかった。けれどこの米を必要としている人がいるということに励まされて米作りに取り組むうちに、いつしかここまでたどり着いた。その中で見えてきたたくさんの問題。食は命の基(もとい)。それなのに生産の場がいかになおざりにされているか。なかでも命を養う基幹作物である米麦がたいせつにされていない、そのうえにこの自給率の低さ、危うさ。
生きているなら生きるに値する生を生きよう。初めて田んぼの中で赤米の出穂を見たときに思ったことは、こうして農業者として生きることに結実しようとしている。
かつてそうありたいと願った生き方とは違うけれど、いま、いちばん自分らしく生きていると思う。
今にして思う。意図しなかった生き方であったとしても、それが最もふさわしいといえる生き方もあるのだと。古代米との出会いはわたしにそのことを教えてくれた。
今のわたしを見たら、亡き父母はなんと言うであろうか。才能に恵まれ、十分な教育を受けながら父の背後から出ることをせず生きた母の思いが、今なら少しわかる気がする。平凡に慎ましやかな人生を歩ませたいと願った父の思いも今ならわかる。それでも「後ろ足で砂をかけるようにして」生まれた家を飛び出した日のことを後悔したりしない。その日の高揚は今でも懐かしく思い出す。
あの日があって今がある。ひたむきさや誠実さと同様に、過ちや愚かしさもまた、後の人生を準備する。 人生の転機はある日突然に訪れるのではない。日々の積み重ねの中で準備され、ある一瞬に凝縮するのだ。
これからまだしばらくはこの米をつくっていけるだろう。けれどいつか次の世代にこの米を託す日が来る。
農を業(なりわい)として確立するためには、血縁に頼らない継承が必要だろう。その着地点を模索しながら、あと10年、夫と寄り添ってこの道を歩いて行こうと思う。
◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆
最後まで目を通していただきありがとうございました。
思えばあの日以来、いつもいつも守られてまいりました。いま、農園が陥っている苦境にしても、もっとひどい状況もあり得たはず、それは奇跡のようにクールスポットに守られて汚染を免れたという事実一つとっても、まだ守られていると感じます。
同時にそれは、まだまだがんばれという声でもありましょう。我が子を護りきれなかった贖罪も、まだ終わっていないということでもありましょう。
この手記を書いてからの10年で、有機稲作の技術を確立してきましたし、血の継承によらない農業の継承を目指して、研修生の受け入れ育成も開始してきました。手記を書いた当時は50才、60才にはリタイアと思っていた節もありますが、その年になってもまだがんばれる自分がいます。
有機農業をスタンダードな農法として根づかせること、一人でも多くの若者の就農を支援して地域農業を再生すること、そしてこれからはTPPの問題など、さまざまな課題がまだ途中です。
日暮れて道遠しの感もありますが、残された人生を生ききることは、護りきれなかった娘の人生をも生ききること。あとどれくらい時間が残されているかわかりませんが、命ある限り前に進みたいと思います。
http://osoujigohan.miyachan.cc/e288533.html
年明けに、農園維持のための協力願いのDMが
再度届きました。
研修生を一時帰宅させたり、出来る限りの対応をしながらも
まだまだ資金繰りに苦労をされています。
また、奥様のベーチェット病が20年ぶりに発症しました。
食道の炎症で食事もできないため
やむをえずステロイドでしのいで
何とかこの危機を乗り越えようとされています。
お米や大豆、雑穀などの全商品
定量下限1ベクレルまで精度の高い検査で
放射能3項目とも検出されていません。
おそうじごはん店舗でも、雑穀米を取り扱いますので
是非皆さんご協力のほど、よろしくお願いいたします。
また、新米はインターネットにて注文可能ですので
直接お問い合わせください。
http://www3.ocn.ne.jp/~oriza/
TEL 0274-23-8770
以下、浦部農園さんの手記です。
ご夫婦の絆、苦しい闘病生活や娘さんの死など。
本当に沢山のことを乗り越えて、乗り越えて
農業と食事の大切さを、行動で伝えてくれています。
是非、ご一読ください。
「わたしの人生の転機 」 転載
「あの日があって、今がある。」
古代米各種、特殊米、雑穀、麦、それら多品種を約4ヘクタールで有機栽培し、収穫する全ての量を自力で売り切る。
そう書けば、昔からの篤農家、専業農家、と人は思うのではなかろうか。けれど実態は、東京まで片道2時間半かけて通勤する夫と難病を抱えた妻とが二人三脚で取り組む兼業農家だ。
農家に未来はない、ぼくは農業を継がない、と十代の少年だった夫が親に突きつけた将来設計は、故郷を離れ、大学へと進み、都会で職を得ることだった。彼と彼の家族がいずれ離農しなければならないという覚悟と向かい合っているころ、わたしはわたしで両親に対してもう一つの決断を突きつけていた。
進学のため親元を離れたい。昭和40年代、まだ女は職場の戦力ではなく花と思われていた時代、女子若年退職制度や結婚退職が公然と認知されていた時代、女が4年生大学を出てどうする、まして一人暮らしなどとんでもない。そう反対する父に、自分の口は自分で養うと宣言し、間に入って気をもむ母に、人生の決定権はわたしがもつ、お母さんのような人生は送りたくないと放言し、後に母が嘆息して語ったように「後ろ足で砂をかけるようにして」故郷を離れたのだった。
学生運動の最後の熱気が充満している大学で新しいエネルギーと挫折を目の当たりにしながら私たちは出会った。結婚したとき、二人とも東京都の職員として職を得ていたし、離農を覚悟して親元を離れてきた夫に農業を継ぐ意志はなかった。そのまま何事も起こらなければ、私たちの人生は農業とは無縁であったと思う。
自立と挫折と
けれど長女が2才を過ぎたとき、わたしの体が不調を訴えた。風邪かな、と思った症状が治まらず、激化していくばかりか、繰り返し、繰り返し全身に炎症を繰り返し、そのたびに激しい痛みに焼かれるような日々が始まった。
難病ベーチェットの発症だった。幾度もの入退院、幾度もの病欠。そのたびに実家の母は父をおいて上京し、幼い娘はわたしのいない夜を夫の胸で過ごした。いつわたしを失うかといつも不安で、わたしばかりを見つめていた娘、家事育児を引き受けてくれた夫と母、支え励ましてくれた職場の同僚。自分の人生は自分で決める、とかつて言い放ったわたしは、ベッドの上で大勢の人の世話になり、治る見込みもない。それなのに仕事を辞める決意はつかなかった。仕事を辞めたら独立した人格を失うようで恐ろしかった。
だから少しよくなると職場に復帰し、そしていくらも立たないうちに再発する。そのたびに身のすくむような思いをしながらわたしは仕事を続けた。
いま思うと、どうしてそんな壮絶な日々を送ることができたのか、自分でも信じられないくらいだ。必死だったのはわたしだけではない。夫も娘も、父も母も、周囲の人たちみんながわたしのためにどんなに無理をしてくれたことか、それなのにわたしの症状は一進一退を繰り返しながら少しずつ悪化していった。
二人目の子を授かったあと一気に症状は悪化。このままいけば失明、という状態にまで追いつめられて、必死にしがみついてきた職をわたしはとうとうあきらめたのだった。
医者も薬もだめなら空気と食べものしかない、と夫に励まされ、夫の郷里に入ったのが40歳のとき。 夫はわたしのために所有するすべての田畑を有機栽培に切り替え、米と野菜を作ってくれた。知人に勧められて始めた青汁玄米食も功を奏し、日がな一日床についている状態ながら、薄紙をはぐように体の不調はやわらいでいった。しぶしぶ転校してきた長女は友達ができなくて最初の2年を泣き暮らしたが、自分で志望した私立中学校に進学してからは笑顔を取り戻した。合格発表の日、「この学校が母校になるのね」と言ったときの晴れやかなあの子の笑顔はいまでも胸に刻まれている。
あなたは自立自立と言い張ったけれど、こうして家庭にあって穏やかに暮らすこともいいことでしょう、という母に素直に頷ける自分がいた。小さな軋轢はあったけれど、つつましく暮らす幸せに始めて気づいた日々だった。けれどそんなささやかな幸せも2年あまりしか続かなかった。
11月7日。長女の突然の発熱、嘔吐、意識障害。救急車で搬送された病院での必死の治療に一度は意識を回復しながらも、12月15日、長女は逝ってしまった。13才だった。ヘルペス脳炎。原因はわからない。強いていえば免疫力が低かったとしか言いようがない、といわれた。
免疫力が低いってどういうこと?当惑し、納得できないまま、娘の担当医だけでなく、自分の主治医にも、いとこの医師にも聞いて回った。聞きすがってわかったこと、それはアトピーの子はそうでない子に比べ免疫力が低いということ。
長女のアトピーは学齢期には消えていたが、思春期にさしかかってまた現れ始めていた。母乳にこだわり、食事にこだわり、どんなに忙しくても食べさせるものには細心の注意を払ってきた。少なくとも近代栄養学の知識の上では。さらに追い打ちをかける情報があった。母乳はダイオキシンで汚染されている、ということ。そればかりではない。「栄養豊かな」食事の取り方に弊害があるという情報。
どうして?どうして?繰り返し問い続けるたびに行き着くのは、難病の母から生まれたから弱かったのかということ。どう考え、どう思い悩んでも、最後にはわたしはわたし自身を責めずにはいられなかった。
生きているという実感
逆縁をみたわたしに周囲は優しかったけれど、その優しさがまた骨身に応えてつらかった。痛ましげにわたしを見る人たちの遠慮がちの視線もつらかった。何をしてもつらく、生きていることがつらかった。思い詰めるばかりの日々、ベーチェットは再発し、娘を亡くした半年後には狭心症まで発症した。生きる意欲をなくしたわたしは、それまで医者に禁じられていたことを全部やってみようと思い立った。自殺しようとしたわけではない。ただ自分をいたわるのにうんざりしていたのだ。子を亡くしたというのに自分をいたわってまで生きる意味がどこにあろうか。
夜昼なく田んぼにかがみ込む夫を見ながら一度も入ろうとしなかった田んぼに入ってみた。縁あって湯島天神様の市の日、門前の露天商からわずかばかり買い受けた古代米の葉は肌が染まるかと思うほど、色濃く、硬い。その株元には、まるでイネを絞め殺そうとしているかのようなおびただしいコナギや諸々の雑草。びっしりと張りついたコナギをむしりとるたびにイネがほっと息をつくのが聞こえるような気がした。
炎天下、泥田の中で草取りをしながら、これまでたった一人で連日このようにして土にぬかづいてきた夫を思い、13才で逝ってしまった娘を思い、こうして生きている自分を思った。クモの巣、カエル、トンボ、ツトムシ、そのほか名前も知らない虫たちがうごめいている中に終日あって、ひたすら草を取るのは哲学的ですらあったと思う。
いつか7月が過ぎ8月となり、そしてある日、イネの花が咲いた。目にしみるほどの深い緑のイネの、その穂先が炎のように赤く輝いている。その美しさに呆然となった。
生きている、とその時突然思った。生かされている、とも思った。病をかこち、職を失い、娘を亡くし、生きる努力すら捨て去ったと思ったのに、生きている。赤米の穂を見た瞬間、わたしの心にも命の日がともったような気がした。
以来10年。今では全国に二千の顧客をもち、4ヘクタールの収穫物を全て産直で売り切っている。毎年口コミでお客さまが増えるが、そのなかには重いアレルギーやアトピーに苦しむ子供たちもいる。難病と闘う人や、障害を抱えた人たちもいる。こういう人たちは、妥協のない農法で作られた本当に安心できる食を求めている。
販売しようと思って古代米を作り始めたわけではなかった。けれどこの米を必要としている人がいるということに励まされて米作りに取り組むうちに、いつしかここまでたどり着いた。その中で見えてきたたくさんの問題。食は命の基(もとい)。それなのに生産の場がいかになおざりにされているか。なかでも命を養う基幹作物である米麦がたいせつにされていない、そのうえにこの自給率の低さ、危うさ。
生きているなら生きるに値する生を生きよう。初めて田んぼの中で赤米の出穂を見たときに思ったことは、こうして農業者として生きることに結実しようとしている。
かつてそうありたいと願った生き方とは違うけれど、いま、いちばん自分らしく生きていると思う。
今にして思う。意図しなかった生き方であったとしても、それが最もふさわしいといえる生き方もあるのだと。古代米との出会いはわたしにそのことを教えてくれた。
今のわたしを見たら、亡き父母はなんと言うであろうか。才能に恵まれ、十分な教育を受けながら父の背後から出ることをせず生きた母の思いが、今なら少しわかる気がする。平凡に慎ましやかな人生を歩ませたいと願った父の思いも今ならわかる。それでも「後ろ足で砂をかけるようにして」生まれた家を飛び出した日のことを後悔したりしない。その日の高揚は今でも懐かしく思い出す。
あの日があって今がある。ひたむきさや誠実さと同様に、過ちや愚かしさもまた、後の人生を準備する。 人生の転機はある日突然に訪れるのではない。日々の積み重ねの中で準備され、ある一瞬に凝縮するのだ。
これからまだしばらくはこの米をつくっていけるだろう。けれどいつか次の世代にこの米を託す日が来る。
農を業(なりわい)として確立するためには、血縁に頼らない継承が必要だろう。その着地点を模索しながら、あと10年、夫と寄り添ってこの道を歩いて行こうと思う。
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最後まで目を通していただきありがとうございました。
思えばあの日以来、いつもいつも守られてまいりました。いま、農園が陥っている苦境にしても、もっとひどい状況もあり得たはず、それは奇跡のようにクールスポットに守られて汚染を免れたという事実一つとっても、まだ守られていると感じます。
同時にそれは、まだまだがんばれという声でもありましょう。我が子を護りきれなかった贖罪も、まだ終わっていないということでもありましょう。
この手記を書いてからの10年で、有機稲作の技術を確立してきましたし、血の継承によらない農業の継承を目指して、研修生の受け入れ育成も開始してきました。手記を書いた当時は50才、60才にはリタイアと思っていた節もありますが、その年になってもまだがんばれる自分がいます。
有機農業をスタンダードな農法として根づかせること、一人でも多くの若者の就農を支援して地域農業を再生すること、そしてこれからはTPPの問題など、さまざまな課題がまだ途中です。
日暮れて道遠しの感もありますが、残された人生を生ききることは、護りきれなかった娘の人生をも生ききること。あとどれくらい時間が残されているかわかりませんが、命ある限り前に進みたいと思います。
2012年01月13日
車麩と玉葱の青紫蘇巻きカツ
1月13日 金曜日 日替わりメニューです
「車麩と玉葱の青紫蘇巻きカツ」
※メールでの注文は午前10時にて
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2012年01月12日
大豆のハーブメンチカツ風
1月12日 木曜日 日替わりメニューです
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2012年01月11日
えび芋の味噌クリームコロッケ
1月11日 水曜日 日替わりメニューです
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2012年01月10日
蓮根と人参葉のメンチカツ
1月10日 月曜日 日替わりメニューです
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2012年01月06日
蓮根のお麩はさみ揚げ
1月6日 金曜日 日替わりメニューです
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